学庵の主張

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「夕方」の意味が分からない子どもに、あなたはどうやって説明しますか?

信じられないくらいに、徹底的に「国語」が苦手…、「コトバ」が苦手…、「コミュニケーション」が苦手…という子どもへの指導ってどんなものかイメージなさった事がお有りでしょうか?

①説明を開始しているのに、「先生は自分に今、説明をしているんだ(◎_◎)という“気づき”、“認識”が乏しく、同じ説明を繰り返してやっと“耳を傾ける”姿勢が整う(゜▽゜*)

②勉強に関しては、どんなジャンルの説明を聞こうとも、何もかも講師の話す内容をそのまま“鵜呑み”にしてフンフンと首を縦に動かしている(个_个;)

③そのため、説明を受けている間に、自分の心に「アレ?何かおかしいぞ?!…何故そうなるの?△△なんじゃないの?(゜_。)?などの疑問が全く湧いてこない。

④ものすごく表面的にしか、他者の言われたことを受け止めていない(* ̄○ ̄)ゝ。(⇒論理的に「では、つまり●●●ってことだよね?」と自分なりの解釈を交えての咀嚼が極めて難しい。)

⑤「明日」というコトバは知っているし、何とか意味も分かる。しかし、イザそれを誰かに説明する必要が生じた時、しどろもどろで、全くきちんとした文にならない(・。・;

⑥「今日が何月何日であるか」の認識が乏しい(*_*;

⑦「1週間先」とコトバを聞いても、「7日先」という意味に変換したり、「同じ曜日のハズ」という概念が芽生えていない…(т。т;)

⑧「明日」は理解出来ても、「あさって」は理解が怪しい。同様に「昨日」は分かっても「おとつい」になると「なんとなく過去?」くらいの理解にぼやけてしまう; ̄_ ̄)

……これを読んで、にわかには信じられないお話と思う人がいらっしゃるかもしれません。でもこれはれっきとした事実です。しかも学庵を立ち上げてから、私たちはもう少なくても3~4人は見てきました。もちろん学年も違えば性別もバラバラですし、①~⑧の全項目に該当する子どももいれば、このうち半分くらいには当てはまる子もいました。

もはやこのレベルになると、「国語の勉強」以前の問題として日常生活における会話にさえ支障をきたすおそれもあり、事実、普通に世間話をするにしても、ときどき何を言おうとしているのか、意味を汲み取り切れない場面も数回ありました。

そんな子ども達に指導する日々の中で、記憶に残っているの事件?が起こりました。
もう何年も前の話です。ひとりの国語が苦手な小学生がいました。当時確か2年生か3年生でしたでしょうか…?入塾当初からとても国語が苦手な子で、上記の殆ど全てに該当するようなタイプでしたね。仮に名前を“Z”ちゃんとしておきしょうか。

その子が入塾して1~2ヶ月が過ぎようとしていたある日、算数の授業で『時計(時間の足し算・引き算)』の問題を解いてもらっていたのですが、回答条件には「午前or午後」を付けねばなりません。その部分を指摘(注意)し、再考を促してはみたものの、不自然にZちゃんの手は止まり、表情も虚ろなままではありませんか。確かに、元々アナログの時計の針を読むのが苦手な子ではありましたが、さすがに私もこの反応には戸惑いました。

正解は「午後5時」だったのですが、単なる不注意であれば、すぐに「午前」・「午後」を具体的な時刻の前に赤ペンで書き足せば済む話です。ところが、幾つかの質問を繰り返し、Zちゃんの反応を確かめてきたところ、どうやら肝心の「午前」や「午後」の意味が分からない事が明らかになってきました。そこで説明をさらに加えるべく、「同じ5時っていっても、学校から帰ってから遊びに出かけたり…」という類の具体例を挙げますがピンときません。さらには、「自分が寝るのが◆時で、おふろに入るのは▲時」という生活全般についても、何もかも時間(時刻)の感覚が曖昧模糊としています。

そんな中、何とか理解させようと「夕方」という語彙も用いつつ、「ホラ…、太陽がオレンジ色になってもうすぐ沈むよーっていう感じの…、その後すぐに真っ暗になって…、“夜”になって…」などの説明を延々と行っていて、私はその時ハッと気づきました。

「この子には“夕方”という語彙、さらには“夕方”という概念なりイメージそのものがズッポリと抜け落ちている!」

そこからは、もう一旦算数の授業は中断です。真っ先に教えないといけない事は、

①「太陽の(見た目の)動き」に関心を払うこと
②太陽の傾きと日没、それは時刻とおおいに関係があること
③相当西の空低く、太陽が隠れかけている状態なり時間帯を「夕方」と呼ぶのであり、それをZちゃんの時間概念の中に「昼」⇒「夜」という理解の中に割り込ませること
④PCをネットにつないで、幾つもの画像や動画を見せて、「こんな感じの景色を見たことが、何度もあるよな?」とその子の記憶に呼びかけること

…だったワケです。

どんな科目の勉強であれ、日本人同士で日本語を通じて先生と生徒が、「教える、受け止める、質問する、チェックする」などコミュニケーションを図ることを『授業』と呼ぶとするのなら、その大前提というか絶対条件になるのが、“最低限の日本語の理解”ということは改めて申すまでもないでしょう。

しかし、たとえそれが小学低学年だったとしても、ましてや中学生であろうとも、上記に挙げた①~⑧のどれか1つでも該当するような弱点を抱えていては、本来の『科目(単元)授業』自体が思うように進められません。そんな根本的な事を考えさせた出来事でした。

ところで…

これを読まれた小中学生のアナタは大丈夫ですよね?

これを読まれた小中学生のお子様をお持ちのお父様、お母様もさすがにその点はご安心のハズ…ですよね?

作文指導

《BGM音源は『甘茶の音楽工房』様よりお借りしました。》


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宿題を出す意義

宿題は元来、何の目的で出されるのでしょう?『継続的な反復練習で定着を図るため』ですね。つまり、生徒に
とって授業時間内だけでは、講師から説明を受けたり自分で解いたりして、理解を深め完全に知識を定着させる
のに、決して充分とはいえません。それを補うのは、“家庭学習”という事になります。しかし、「自分で自分の苦手な箇所を認識し、克服する強い意志を持って具体的に毎日の学習計画を立てて、確実にそれを履行する」事を初めから出来る生徒は、非常に少ないのが実情です。もしも、そんな自律的な生徒であれば、何も“個別指導型”の塾に通わずとも、“通信教育”の教材(例:進研ゼミ)などを利用すれば済むはずです。しかし現実は甘くはありません。直接顔を見ながら、手取り足取りの直接授業の中で厳しく指示されたり叱られたり、時には褒められたりしながらのメリハリある空間に自分を置かねば、なかなか勉強に向けて身体が動かないのが実情ではないでしょうか?……

そこで、ある種の“強制力”を伴った形で、
“学習習慣の定着/新たな知識の定着/約束を守る社会性の養成”を目的に、宿題は出されるのです。ところが、まだまだ認識は低く、どうしても
「やっていかないと叱られるから、嫌いで面倒くさいけれど仕方なしにやる義務」…と、捉えている生徒が多いのも事実です。効果的に授業で習った事柄を「使える知識」に変え、「真の得点力」にまで昇華させるのは、本当は生徒自身が試されるべき課題なのです。塾に長い期間通っているのに、思ったように成績が上がらないと嘆く前に、本当はそのあたりの心構えのについての改革が必要なのかもしれませんね。
「チョイチョイと何回か漢字の書き取り作業を繰り返したら、もうノルマは達成…。」……で終わりのハズがありません! (本人なりには「自分は頑張ったよ」という)途中経過”を軽視するつもりも無いのですが、結局は『形ある結果を証明しない事には、本当の意味で一生懸命やった事にはならないんです。何も満点を要求しているのではありません。肝心なのは、『努力の度合い』です。努力したかしていないかは、その回答っぷりをみれば、点数以前にほぼ一目瞭然なのです…。、本当に必死で努力したのなら、たとえ高得点(or満点)ではなくとも、それ相応の正解率は得られるはずですし、
百歩譲って、正解率が低くともその“間違え方”を見れば、努力した結果の惜しい間違いか、練習を怠った結果まるで歯が立たない間違いなのか………、答案の様子に加えて生徒へのその場での私からの質問で明らかになってしまうわけです。
そこで、もうそろそろ「頑張ったよ。書いたよ。偉いでしょ? テストは出来なかったけど…。」σ(^◇^) という認識のままではいけませんよね? ただし、いつまで経っても、肝心の本人が困っても悩んでもいない場合もありますが…。
 ((~(´ー、`~)
写真の人物は学庵とは関係ありません。

【国語】を教えていて感じること

まず最初に…、私なりに生徒達に日々、国語を教えていて感じる事があります。やっぱり他の科目と比べて、
明らかに教え方も理解のアプローチも趣がかなり違っていると思うのです。
もっと深い奥底の部分では、どんな科目であれ共通の「論理的な思考力」が必要なのでしょう…。それでも表面的には、例えば国語と算数なんかでは、見た目もやる事もかなり違いますよね?

『中学受験』という観点から考えてみると、その合否を左右する第一の教科は算数で、国語はどうしても「その次に大事」な扱いになりがちな教科です。それは何故か…?

受験の合否を決めるのは、”得点”の合計です。算数のように、「問題内容を理解した上で、それを解き正解の答案を書ける」生徒がいる一方で、「全く歯が立たない/(x_x)\生徒も大勢いる科目の場合だと、必然的に得点の差が大きくなりがちです。その算数で、どれだけ点数を取れるかということが合格を勝ち取るための重要なカギになってきます。多かれ少なかれ、こうした事情は、中学校の定期考査や高校受験でも同様だといえます。

逆に、国語の指導は手間と時間がかかる割に、目に見える形での効果を実証するのがなかなか難しいので、「効果が薄い」という印象を与えがちです。〔※「国語」が苦手な生徒を対象とした場合は、特に「即効性」は望めません。〕

ところで…国語力は、机の上での勉強よりも、生活習慣の中で育つ勉強という面が強くあります。友達同士の遊びや喧嘩、兄弟姉妹の内での譲り合いや競争、親に褒められたり叱られたり…、楽しい時もあれば辛い気持ちになったり、悔しかったり心に傷を負う場合もあるでしょう。言い争いや口喧嘩、それに嫉妬心や自慢、反抗したりスネてみたり…。不思議に思って調べようとしたけど、誰に訊いてもくれずに、分からないままの自分に対して嫌気が差してきたり…、パッと見には『マイナス』としか思えない行為ですよね?でも私はこういう葛藤の経験の中から、本当の友情や和解、物事に対する理解ってものが自然と深まっていくような気がするのです。

誰か好きな子が出来た初恋の経験なんていうのも、どんな子にもあるはずなんですが、何も言い出せず恥ずかしくってモジモジ(-o-;)するだけだったり、勇気を奮って手紙を渡したらあっさりと「キモイ!」(`へ´) という冷たい言葉を浴びせられた上にその手紙も迷惑そうに突っ返されたり(・_・ )ノ  ─〇

良い思い出、嫌な思い出…その両方の経験(←自分でちゃんと受け止めている事が大事)の積み重ねの数が多ければ多いほど、子供から大人に向けて一歩ずつ成長していくのではないかなと、私なりには思っています。

さて…、国語の勉強というと、すぐに漢字の書き取りを思い浮かべる生徒や親御さんも多くいますが、単純に「読めて、書けて」…ただそれだけ、机の上だけの勉強科目では決してありません。一番掴みどころの無い?科目かもしれませんが、人間に最も不可欠な素養となる科目だ…と私は思います(`⌒´)ノ

〔別にそんなに鼻息荒く言わんかてええがな…〕 (* ̄○ ̄)ゝ

漢字力の差は学年が進むにつれてなくなります。逆に学年が上がるにつれて差が開いていく本当の国語力は、読解力と表現力です。読解力と表現力を中心とした国語力をつけるためには、生活習慣として持続可能な勉強をしていく事が必要です。国語力は、他の教科の勉強と異なり、いったん力が付くとずっとその力を維持できます。

〔それエエなぁ。メチャお得やん〕 (ノ≧∇≦)ノ

そのかわり、一朝一夕の勉強でどうにかなるものでもありません。普段から生徒自身の意識やモチベーション(動機)などが根本に備わっており、日頃からの読書や物を考える習慣の多さが蓄積されて初めて花開く事でしょう。

〔な、何か知らんけど難しそうな話やんか…〕 (个_个;)

そこで一つの結論です。
「『読解力』というものは、本当は教えられて身に付くような力ではない!?」

…アレ? 何だか無責任なようで、塾の講師がこう言うのも変な話なのですけれども…。結構まじめに考えています(`-´)/。 つまり、『国語力』とか『読解力』というのは、あくまで結果的に向上するものであり、それ自体を引き上げる事を目的として、決められたお仕着せの『課題文章』を読ませて、問題を解かせて、解説する…、そんな授業を週1コマしたところでほとんど効果は見られないのです。

いわゆる大手進学塾などでのオーソドックスな授業展開・手法は、初めに教材に書かれている文章(何かの作品の一部分)を何分間か与えて、生徒達に先に読ませおき、おもむろに後から集団教室の担任講師が黒板にとらえ方やテーマ、キーワードなどを書き出しつつ、「何故、正解がこれなのか?」を解説するスタイルです。しかし、(たとえどんなに教え方が上手でも)その授業を受けたからといって、読解力が向上する訳ではありません。全く効果が無い訳ではないのですが、算数や理科、社会に比べると科目の持つ性質そのものが違うので、全く同じ文章の問題を解き直すような事でもしなければ、なかなか“次回の勉強”に活かされないのが実情なのです。
もしこの手法で成績が上がったとすれば、それは漠然とした『読む力』ではなく、『自分の主観を交えずに客観的に問題を解く為の論拠を文中から見いだす力』が向上したからであり、『問題に対して得点できる答案づくり』の力が向上したからなのです。純粋に言葉に対する感性が磨かれた訳ではありません。…いや、元々『感性』というものは、学校であれ塾であれ「授業」という形では、磨かれるものではないのが本質的なとらえ方
ではないでしょうか?

〔そうかも知れんけど、何かチョッと偉そうぶってんちゃう?〕(* ̄○ ̄)ゝ

国語の力というのは、
・自分の身の回りで起きたり見聞きした全ての体験を、系統だった知識としてまとめる力。
・論理的な思考法を身に付けたり、あるいは他人の心の動きを何か(文、表情)を基準にして推し量ったりする力
のことを指すとすれば、そんな簡単に一口で語れないくらい抽象的なものではないでしょうか?

生活経験知識の重要性

(※コレは、『弱点を見極める力』⇒『具体例からわかること』でも触れていますが…。)

学庵で国語やそれ以外の科目の個別指導を行っていると、ある日ふと気付いた事があります…。
授業学校では教えてくれないような事柄、例えば本当に生活に密着したような地名・駅名や、普段よく耳にする
何気ない慣用句…、教科書に書いていない常識とかが、何というか…、
『ゴソっと抜け落ちている』感じの子供が最近増えてきているように思うのです。もちろん絶対的な人数って意味でなく、あくまで主観的
な人数割合でなのですが…。(´_ゝ`)でもね、それぞれの科目に於いて成績(学力)不振に悩む生徒は、けっこう高い確率で日常生活の些細な事柄や言葉、現象の意味などを理解していないケースが多いわけですよ。また、これらの生活知識が欠けていれば、当然ながら問題文を読んでも、そこに書かれてある言葉の意味が汲み取れず、何を答えればよいのか反応できないケースも頻発します。そして厄介な事に、
【知っていて当然の知識】
【そんな『知らない』なんて考えられないような常識】
については、子供に対して改まった形式でなかなか確認する機会が無いのが実情です。学校の教科書は、ある一定の知識と理解を持っている生徒を前提に、前の学年までの知識に上乗せする形で新たな単元や説明が書かれています。また、最初に戻って“振り出し”から教えてくれるわけではありません。学校の先生や大手集団塾の
講師にしても、偶然気がつけばその都度言い回しを平易にしたり、念のために(当たり前の事柄について)補足説明を加えて下さる場合もあるでしょうが、こんな事を毎回その都度実行してたんじゃ、本来の授業カリキュラムは到底こなせなくなるので、ある程度で見切りをつけてサッサと
次の説明に入らざるを得ないのが現場の実態です。でも、コレ自体が悪いとは言えないんです。(v_v;)  なぜなら、塾はあくまでも『勉強・学問』としての国語なり算数、理科や社会といった科目指導を行う訳でして、受講する生徒側がもし全く予備知識がゼロの状態からスタートするとしたら、コレはもうとんでもないぐらいの膨大な時間を必要とするからです。\(●o○;)

例えば、英語の授業をしていたとしましょう…。“This is an apple.”の日本語訳を「はい、この文の意味は『これはりんごです。』や。(^v^)」と教えている最中に、生徒から突然こんな質問が飛びだしたらどうしましょう?

■生徒:「なぁ先生ぇ、“リンゴ”って何なん?」 (* ̄○ ̄)ゝ
■教師:「え?ヘ(゜▽゜*) リ、リンゴは林檎!ゞ( ̄д ̄;)…っていうか、りんごに決まってるやん (=_=;)

…まぁ、これは極端な例で、さすがに私もこんな場面に遭遇した事はありません。
f^^;) 
でも、小学4年生や5年生の国語の授業中、「ハンダごて」「ニッパー」という言葉が問題の文面に登場し、
それが分からない限り、自分で解くどころか説明を聞いても意味不明な状態なのが明らか小学生は数多くいました。私はそのたび日曜大工用の工具箱を教室に持ってきては生徒の目の前で、それを見せる事にしましたが、当然それだけ授業の進度が遅れるというか、時間を喰う作業を必要とする指導なのです。(T_T)
さらにご家庭でも、多くの保護者様からしてみれば、「うちの子はそれくらいは知っているだろう…」という漠然とした安心感のようなものをお持ちかもしれません。でも、もしこういう生活常識の不足があれば、勉強の各科目の土台になる部分が抜けているわけですから、「成績が伸びない、なかなか知識が吸収できない…」といった症状となって現れるのも、当然の結果といえば当然の結果だと言わないといけないんですね。大事なのは、“「学校で習わない」=「知らなくても良い」”などと決して思わないでほしいという事です。

膨大な時間が必要な、真の読解力養成

読解問題が苦手だという生徒は昔から大勢います。…というか「得意だ(`∀´)」と胸を張って言える生徒なんて10人中1人いればマシなくらいだし、その上本当に「へぇ!よく出来るなぁ(#^.^#)」と私が思える生徒となると、…もう泣きたいぐらいのレアな存在になってしまいますヽ(´ω`)ノ
単純暗記の漢字やことわざ…、まぁ、いいとこ文法問題ならまだ良いのですが、肝心の読解問題は全然ダメで…┐(´~`;)┌」と、お嘆きの生徒保護者とも数多くの面談をしてきました。ただ…、
肝心の生徒本人はすこぶる平気な場合が多いのです。
漢字などの知識分野は、もちろん教科を学ぶ上での土台になるものです。これらをいい加減な扱いにしていたら、当然、成績向上には繋がりません。なぜなら、どんなに解法が理解できても解答に結びつかないのであれば、マルはもらえないからです。しかし中学校や高校での本格的な定期考査や実力テスト、さらには入試で肝心の部分といえば、読解力や分析力を伴う問題です。単発的なの知識だけ満点をもらえる訳ではありません。多くの場合、
「読解力を必要とする問題」が高得点のカギとなっています。それが出来ないということは、どんなに漢字などが出来ていても、目に見える成績(=点数)は低いままなのが厳しい現実です。(v_v;)

ところで、読解問題が特に苦手な生徒にはこんな特徴が挙げられます。
「アカン、全然思いつかへん。もうギブアップや。」(-o-;)
「とにかく答えを教えてよ」(`з´) …と、
途中の思考訓練を省きたがる傾向です。なぜなら、
“読むこと”、“考えること”が、当の子供にとっては面倒ですから…。講師や親御さんが一生懸命
説明しても、子供はとりあえず「ふんふん」と聞くという行動をすればいいのです。
私も数多くこんな仕草をする生徒を授業中に見てきました。しばらく考えた(フリをした?)後、一定時間が過ぎれば解説が始まるから、それまで口は貝のように閉じたまま“フリーズ”状態が続くのです。念のために……、
「考えたフリ…」と書きましたが、誤解のないよう補足すると、なるほど確かに真面目に考えてはいるのだけれども、もう何も思い浮かばず、ただボンヤリと問題文やら本文全体を眺めているだけの空虚な時間を過ごしている…、という意味です。
多分そのまま5分、10分と自発的な回答や発言を待っていても、虚しい結果に終わるケースがほとんどです。だから生徒にとっては、重々しい雰囲気の中で緊張と苦痛を強いられた“考える時間”から開放され、安楽な“解説タイム”に入る流れに感じるわけです。
黙って一定時間耐えれば、結局は講師が答えを出してくれるのですから、考えようによってはこんなに「楽チン」な事はありません。((~(´ー、`~)黙って聞いている「忍耐力」さえあればいいのですから…。最後に「分かった!ありがとうございます~!(´ー`)」とでも生徒から言われた時、ウッカリその言葉を信じてしまうと、先生の側もはハッピーな気持ちになってしまいます。
ただし、本能的に子供は自分の不理解を隠そうとし、先生から「分かっていないんだな」と思われる素振りを見せようとはしません
全員ではありませんが、確実にそういうタイプの子どもは存在します。
宿題をしっかりやっているのに、模擬試験などで成績が悪い生徒の大半は、このパターンになります。塾に通っていても成績が伸びない…とすれば、何がマズイのでしょうか?
多くの場合、「安易に正解を教える」からだと私は思います。その対策としては、教えすぎず、敢えて本人に考えさせる事により、「ああでもない、こうでもない」と作業した末にやっとたどり着いた解答…。そういった苦労から論理的な解釈が生まれるのだと、私は思います。「安易に正解を教える」ことは、確実にその機会を、子供から奪っていることになります。解答を片手にした講師が、一から十まで全部を生徒に「写させて」しまったら、そこに何があるというのでしょうか?

一見すると誤解を招きそうですが、『国語の読解演習授業』の中で、
「講師は無回答のままの生徒に対して、あたかも“根負け”したかのような正解提示を行うべきではない!」 ヽ(`⌒´)ノ
 
…と考えています。教えすぎる事で“講師依存タイプ”の子どもを育ててしまうおそれがあるからです。

教える側も常に気を付けねばなりません。つい生徒が重い口を開かないのに待ちくたびれて、得意げに全てを教えてしまいそうになるものです。しかしそれでは、子どもに考えさせる余地を与えません。文章題が分からないというならば、子どもには理解しにくい言葉をかみ砕いてあげさえすればいいのです。

ところが、大手進学塾による一斉授業スタイルだと、そんな悠長な時間の使い方はしません。とにかく制限時間内に問題を解かせ、最後まで出来ない生徒がいてもお構いなし。サッサと正解を声高らかに言い渡し、各自生徒は○×を付け始める…。むろんプロ講師がそれなりの説得力ある解説は設けてくれるのですが、悲しいかな…土台、全く歯が立たない生徒にとっては、その説明の言葉すらただ虚しく頭の上を通り過ぎていくばかりで、全く次回の糧へと繋がらないのです。(*_*;

でも、別に一般的な読解問題集を用いた一斉授業を否定している訳でもないのです…。ただ、こういう授業スタイルに適している生徒というのは、限られているのが実情なのですね。ある程度は読解そのものに対して馴染んでいて、漢字や語彙を基礎部分は充分に出来ている上に、問題文をしっかりと読みねばり強く考えられるような生徒であれば、受講する値打ちがあるし、またその資格も有しています。

だから学庵では、もし目の前の生徒がいろいろな意味で本格的な文章読解に取り組ませる作業を課すのがシンドイ…と判断すれば、早い段階から性急には読解問題には取り組ませないし、やる限りは、安易に正解を示さず、1つの問題だけでまるまる1時間を費やしてでも(=非常に時間を喰い、非効率的に見えても)、試行錯誤を生徒に繰り返させてでも、じっくりじっくり、考えさせねばならない覚悟を、生徒も私も、そしてお母様も持たなくちゃダメなんだと、思うのです。

いっぱい解かないと身につかへんで!

普段、私が国語の授業をしていて、気をつけている事があります。
たとえどんなに上手く説明できた感触があっても、生徒側から見れば、その授業を受けたからといって、読解力が向上する訳ではありません。…まぁ全く効果が無いって訳でもないのですが、算数や理科、社会に比べると科目の持つ性質そのものが違うので、全く同じ文章の問題を解き直すような事でもしなければ、なかなか“次回の勉強”に活かされないのが実情かもしれません。

また、「おもしろい授業」や「わかりやすい授業」は、
生徒にとって大切な要素です。でも、はっきりさせておかないといけないのは、「何のために塾に来ているのか?」…ということです。わかりやすい説明は、成績が上がるための『序章』に過ぎません。まだ、本題には入っていないのです。本題とは、つまり「自分自身の成績を上げる」ということに尽きます。(-.-"")凸 
そのために講師側に必要なアクションは何なのか? …それは説明をした直後に、

■中村Y:「なぁ、今の説明わかったかぁ?」(`-´)/
■生徒 :「ウン。まぁ大体。」( ̄ー ̄)

…という感じの確認で、うかつに生徒の返事を信じていてはダメだという事です。そもそも子供がよく口にする

《だいたい~ / 一応~/まぁまぁ~/ちょっとは~/微妙…。》
(=^~^=)  (~o~)  (^^ゞ   (´。`)  (=_=;)  

……などのたぐいの言葉を聞き逃していてはいけません。ホントに要注意です。これらの言葉には明確に数値で表せるものではないから、子供が勝手に決めた基準で使う場合がほとんどだし、「微妙…。」なんて言葉に至っては、ハッキリ「No!」と言い切ってしまうとマズいから適当にお茶を濁そうとする時に使われる場合がほとんどです。
だから疑い深い性格?なのか、私はこれだけでは終わらせません。…というより、私は生徒の「分かった!」というセリフをあんまり信用していないのです。セリフ自体を聞いているのではなくて、表情や間合い、声の抑揚…といった全体のリアクションを観察するように努めているわけです。そのために、
「んじゃあ、ホンマに理解出来たかなぁ?そやったら、この問題、解けるはずやんな?ホレ、やってみ。」凸(`_')
と即座に切り返します。ホントに理解出来ていそうな生徒には類題を…、どうも怪しい感じの生徒には、わざと同じ問題を生徒に解かすのです。
「ウン、理解できた。」という生徒の返事は、単に「説明はわかった」に過ぎません。
わかったわぁ(^^)」←←←→→→「解けるようになったで(#^.^#)
は根本的に違うからです。実際、同じ問題を解かしても、途中で解き方がわからなくなるなんてケースは数多くあります。では、もし問題を解かさずに、次の問題に進んでいたらどうなるでしょう…? もし、「説明」だけで終わっていれば、成績は上がりっこないのです。〔でも解くのはヤダー。解けないんだもん〕( ̄д ̄)
 

ここに家庭学習の必要性があります。具体的には『講師が生徒に宿題を出す』というアクションがそれに当たります。「理解した」を「解けるようになった」にまで昇華させるためにも、宿題を確実にこなすことが重要なのです。ただ授業を聞いてるだけでは、成績は上がらないわけですから…。もしかすると、高い意識を持って家でしっかり復習してる子ならば、成績は上がっていくでしょう…。
しかし、塾以外の時間は何も努力せずで、塾にただ通い、それで成績が上がるんだったら、全員例外なく成績のイイ子になっているはずですよね?…そうではないから、みんな困っているのではありませんか? ヽ(`⌒´)ノ

〔なぁ先生ぇ。できるだけ宿題少なくしてぇやぁ…〕( ̄ε ̄;)

…少し偉そうな言い方になってしまうんですが、『塾に頼る、すがる』んじゃなくて、生徒自らが学ぶ意志を持ち、家庭学習の習慣を身に付け、積極的にお母さんやお父さんもそれに関わるような環境を作っていただく…。それが一番肝心なのではないでしょうか?

〔…ていうか、アンタいっつも偉そうや。〕(* ̄○ ̄)ゝ

精緻な答案作成能力

よほど変な日本語を話さない限り、普段の生活の中では友達や家族との会話では意思疎通が可能な場面がほとんどだと思います。それゆえ、国語のが苦手な生徒さんの場合、算数や理科などの別科目とは違って、「何が原因でテストの点数が伸びないんだろう?」と悩んでしまうかもしれません。もちろん、漢字書き取りテストなどの場面では、容易に点数化されますが、ただし小学校低学年や中学年までのものは、その大半は“暗記力”と“反復練習する根気”の強弱で点数が決まってしまいます。“国文法の勉強”などといって杓子定規な「正しい日本語の使い方」や「言葉のルール」にこだわるのは、ストレスに感じてしまう生徒が多いのも仕方のないことでしょう。でも、特別に“言葉の上のトラブル”が発生しなくとも、ただ漫然と「話すだけ」の日常生活からだけでは、本当の理解力は身につかないのではないでしょうか?
これは私個人の考えに過ぎませんが、次のように考えます。

小学校での国語授業は、生徒を理解力別に序列化する事を目的にしていませんし、『問題演習』を中心に数多くの問題を解かせるというスタイルでもありません。もちろん、そういった授業の進め方が悪いわけではないのです。教科書の作品をクラスのみんなと朗読し、作者の考えについてグループに分かれて議論し合ったり、他人の意見に耳を傾けつつ、自分の意見を主張していく中で、班としての結論を発表しあう…という授業は大切ですしね…。ただしこれでは、
■そもそも何かを問われているのか?
■注文通りに応じて回答できるか?
■正解を得るか×評価を受けるかを待つ。

…という習慣がなかなか養われない側面があります。先ほども触れましたが、学校で行う国語の授業で目指すべき「国語力」と、入試やテストなどで求められる『得点力』は全く別物だと考えた方が良いでしょうね…。学校のそれは、文章に親しみ、語彙などの教養を高め、作品を味わう点に主眼が置かれているに対し、入試やテストのそれは、精密で厳正な理解を求めている訳ですφ(◎_◎;)

個人的に子供が文庫本などを休日手に取って、半日ほど時間をかけてゆっくりと読書を楽しむのであれば、制限時間など気にする必要は全くありません。また、どんな解釈をしようとも空想を膨らませようとも読み手側の自由です。読むのに疲れたなら、適度に“とばし読み”して読むページを省く事もOKです(^v^)。……そもそも、自分が「読んで楽しい」、「感動できる」、「興味が湧く」、「役に立つ」からこそ自発的に読書するのであって、誰かに採点評価を受ける事が前提なら、もはや読書とは呼べません。
まさに、“義務”であり苦痛です。(><@)

ところが入試やテストでは、この苦痛な作業を敢えて子供たちに強いているのです。絶対とは言いませんが、入試やテストは生徒の「読解力教養」を目的にしたものではありません。あくまで、「力を試す」ための手段と割り切って考える必要があります。ある一定以上の読解力や、それを下支えする一般教養が欠けていれば、高得点は望めませんしね。入試やテストで求められる「力」は、普通の保護者様が思う『読解力』とはかなり別物なのです。
では、その『答案作成力』みたいなもの、…の正体は何か?

それは、

■設問の意図を充分に汲み取り、忠実にそれを守った答え方が出来る力。

■「何となく…」という感覚で回答するのではなく、「○○の箇所に筆者の言葉として書かれているからです!」と論拠を示せる力。

■「本文中どこを探しても、そのような内容には触れていないからこの選択肢は×だ!」という具合いに、論理的に自分の答えの根拠を見出す力。

…の結晶だと思います。これら3つを合わせて『精緻性』やら『精密力』などと呼ぶ教育関係者もいらっしゃいます。

そしてよく考えてみれば、実は大人の一般社会にも、ほとんどそっくりこの『精密力』が日常的に求められていますよね?
例えば、会社の役員会議があるとします。それに必要な資料の準備を上司から依頼されたました…。さて、「一人前の社員」として認められる部下が取るべき行動は…、

①用意する資料には原本があるのか? 自作しないといけないか?
②データの根拠は何か? それはどこに保管されているのか?
③期限はいつまでか? 上司にチェック作業をお願いすべきか?
④用意する資料は何人分必要か?
⑤特別に“プレゼン係”用として補足情報を何か付けておくべきか?
⑥会議室にセットするべき? タイミングを見計らって出すのか?
⑦コピーサイズは? 片面刷りか両面刷りか? カラーかモノクロか?
⑧ホッチキス止めや製本テープは? 最終的に誤植や欠落はないか?
……、もう挙げ始めたらキリがありません。しかし、会議の資料を用意するという日常的な仕事でさえ、上司の期待に満足に応えなければ、「なんだコイツは…、こんな事も満足に出来ないのか…。使えん奴だなぁ」( ̄ε ̄;)
と、内心では評価されてしまうのかもしれませんね。学校での勉強か、実社会の仕事かという違いはあっても、結局のところ、目の前に与えられた厄介な作業(=入試やテスト問題)をどれだけ迅速かつ的確に処理出来るかどうかで、評価が決まるという点においては、共通点が多いように思います。そして入試やテストが目的としているのは、この『処理能力』の高低を判別する事なのです。
だから、入試やテストやテストで国語の点が低いからといって、必ずしも『読解力』が乏しい訳ではありません。『精密力』が足りないだけの話なのです。だから、逆に言えば、『処理能力』を磨く事を続ければ、『読解力』を養う事は出来ませんが、入試やテスト対策にはなるという理屈も「アリ」なのです。(^_-)-☆
もちろん、この2つを完全に切り分けて考えることは不可能ですし、『精密力』であれ『読解力』であれ、その土台として必要不可欠なのは、

①豊かな語彙
②正しい漢字の読みと書き取り
③確かな文法
④しっかりと読み、勝手に早トチリしない慎重さ
⑤即物的(=そのままズバリの直接的な)表現をされなくても、
「つまり○○○という事か!」と解釈する思考

…これらが有機的に働かないと、やはり点数は取れないのです。そして実はこの事が、
「国語の勉強はやっても、あんまり成果が出ぇへんな…」
という嘆きの根本原因なのです。しかし逆に言えば、国語の学力が上がったという事は、総合的な学力が向上した事にもなるのですが…。
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